ひつじの平日ひつじの平日

~幸せについて考えるひつじ~

ひつじの平日 紹介記事

このページが必要とされている誰かに検索されているのであれば、
何かのヒントになれば幸いです。
社会学、心理学、哲学等の観点から幸せについて考えてみております。
日本の識字率やGoogle先生の検索能力に感謝しつつ、気になる表題がございましたらタップして頂くと本文が閲覧可能となっております。
※日本国内に向けたページとなっており海外事情等は考慮されておりませんので予めご了承下さい。

「不快」に思ったのであればどうぞお好きなタイミングで「ブラウザバック」「戻る」でお戻りくださいますよう、よろしくお願いいたしますm(_ _"m)


ひつじの平日 目次


【0】はじめに

このページがブログではない理由

私は筆者の私生活等は各段に知りたいわけではなくて、文字で情報収集だけをしたい時は実生活情報はいらないかなと。
後、知りたい情報がダイレクトに出て来ない感じが私は苦手です。
ただ、ブログは文章を書いてみる手段として、習慣やアウトプットの練習としては秀逸だと思います。

動画としても発信しない理由

自分が知りたい事が何分に表示されるかわからないのが時間のロスだなと感じてしまいます。
声が聞き取りにくい場合はテロップに起こさないと伝わらないし、
文字で解説してくれてたりすると、結局一時停止をするタイミングを見計らう必要があるので時間のロスかなと思ってしまいます。
ただ、動画はエンターテインメントとして見るのは好きです。
ゲームの攻略は映像で見た方が分かりやすくて動画の方が助かる事もあります。

タップ(クリック)しないと読めないようにしている理由

目的以外のものを目にしなくてもいいように。
後、隠されていると逆にタップして開いて読んでみたくなるように。
隠されると知りたいと興味を持って貰えるかなと。

【蛇足 1】「ひつじの休日」について

閉店している同名のマッサージ店が検索すると出てきますが、私との関係は一切ございません。
ひつじの休日 switch版、あくねこ版は私が管理しているページとなります。

さらに蛇足。
「ひつじの平日」で検索してもGoogle先生はこのページを見つけることができません。
なぜなら最近作ったページなので。
サーバーレンタル代の足しになればいいなと思って広告つけてますが、
宗教を作りたいのでもお金を巻き上げたい等も思っておりませんのでご安心下さい。

【蛇足 2】「みつきひつじ」について

しばらく忘れてましたが私「HSP」気味でした……。
「HSP」を盾にして嫌な人物を描かれた漫画を読んだ事があって自分から発信するのはどうだろうと思ってたけど、関係をリセットしようとしてる時に思い出しました(;´・ω・)
大きな音とか、突然の事にびっくりしがちだし、曲聴いて泣いたりするし私が世間一般とは逸脱している為、色々曲解している部分があるかもしれないことを予めご了承下さい。

HSP
生まれ持った気質で、外界や体内の刺激に敏感に反応してしまう人のことを指します。
全人口の15~20%程度の人がHSPと推定されており、日本では「繊細さん」とも呼ばれます。
HSPの特性としては、次のようなものがあります。
・些細な変化に気づきやすい
・情報を深く処理する傾向がある
・感情の反応が強く、共感力が強い
・疲れやすい
‐これは情報提供のみを目的としています。医学的なアドバイスや診断については、専門家にご相談ください。生成 AI は試験運用中です。‐

15~20%の確率での繊細な人が35%の確率で社会から逃がれる手助けがしたいって……。
始めから35%の中に繊細さんが含まれているのか……?
もっともらしい推察しがちなのも、HSPだからなのか……。
だいぶ社会不適合者なのによく今まで生きてこれたなぁ。(自画自賛)
考えてるだけでめっちゃ時間が過ぎてしまうんよなぁ……。
心の支えになって頂いている方々に感謝。
※35%とは、後述する「ミルグラム実験」の結果内容となります。


【1】人間は考える葦である パスカル

17世紀のフランスの哲学者パスカルの言葉(著書「パンセ」の一節)。
人間は自然の中では葦のように弱い存在である。
しかし、人間は頭を使って考えることができる。
考える事こそ人間に与えられた偉大な力である
という意味。
‐AIによる概要‐

白黒を決めるのは誰でしょうか?

物事の白黒・善悪を決めているのは誰でしょうか?

私は「自分自身」であると考えます。

反論として、「社会」「法律」「規範」「ルール」なのではないか?
と考える方もいらっしゃると思います。
しかし、これらは社会生活で生きていく上で必要だと「多くの人」が感じたから制定されたものだと考えます。

では「多くの人」とはなんでしょうか?
私は「人」の考えが「人間」(人と人との間)にいる為に定めたものではないかと考えます。
人が1人でいるのであれば何を考えても何をしていても自由で誰にも文句を言われません。
そこに「他人」が介入して「人と人の間」いわゆる「人間」として生きていく上で「必要」だと思われるから、制定されたのではないでしょうか?

「他人と過去は変えられないが、自分と未来は変えられる」。カナダの精神科医であるエリック・バーンの言葉
‐AIによる概要‐

「社会」は「個人」の集合体なので「個人」の「自分自身」の考え方を「変えられる」事を伝える事ができれば「他人」も「自分も変わる事ができるかもしれない」と思うことができないか?

「自分」と「他人」の関わり方、それが現実社会であろうとネット社会であろうと、「人間」としての関わり方は同じであって欲しいなという事を一緒に考えてみていただければと思います。

知らない物(人)は怖い ラベリング効果

ラベリング効果
人や物事に対して「○○だ」「○○ではない」と根拠なく判断し、思い込んでしまう心理現象です。
例えば、教師が生徒に「あなたは優秀だ」とポジティブなラベリングを行うと、生徒の学習意欲や成績の向上が確認される
‐AIによる概要‐

例えば熱が出た場合、「風邪」なのか「インフルエンザ」なのか「コロナ」なのか怖くて不安になると思います。
「病状」では自己判断できませんが、病院へ行けば診断してもらう事ができます。

病院で「コロナ」であっても重篤な状態でなければ「今」は入院せずに自宅療養ができるようになりました。
既知の「病気」であるなら、「対処方法」が決まっているので「知らない」不安を払拭することは容易です。

以前は「コロナ」がどういった病原菌で特効薬もなかったので「怖い」病気でした。
それは「知らない」状態で「どういった対処」が「適切」なのかわからなかったからではないでしょうか?

病気と同じで「初対面の人」はその人の「性格」がわからずに「不安」になるかと思います。
よく面接などは「第一印象」が大事だと言われます。(下記引用参照)
「笑顔」で接する事によって「私はあなたの敵ではありませんよ」の自己アピールをしている状態です。
出会った当初から「不利なラベリング」を行われないような「防衛本能」だと思っております。

第一印象
第一印象とは、初対面で相手に抱く印象や感じを指します。
心理学では「初頭効果」とも呼ばれ、最初に提示された情報が印象として強く残るとされています。
‐AIによる概要‐

自分を「良く見せよう」となさらない方もいらっしゃるとは思います。
それは、ありのままの自分が「良い」状態だと推察いたしますので、とても素晴らしい事だと思います。
以降はもし、「ありのままの自分」が「理想の自分」と違う場合を想像して読み進めて頂ければと思います。

人は役割を演じている 「〇〇だから□□」

「〇〇だから□□」この言葉よく聞くと思います。
人は「未知」のものが怖いから、「〇〇なら□□」という「役割」を「ラベリング」しがちです。
そして自分もその方が楽だから「私は〇〇だから□□」なんだと思ってしまいます。
他人に自分を説明する時の「役割」があると説明するのが「楽」だから。

その役割を演じるように決めたのは自分自身でしょうか?
その役割(ラベリング)が本当に「必要」なのは誰でしょうか?

多様性 (ダイバーシティ)について

多様性(ダイバーシティ)
人種や性別、宗教、価値観、国籍、年齢、障がいの有無、性的指向など、さまざまな属性を持った人々が共存している状態を指します。
‐AIによる概要‐

例えば「男だから」「女だから」多数の人はこれで済むので、考えなくて安心です。
「身体は〇だけど心は□だから」こういった方々がいらっしゃるのも認知されてきています。
「自分は他と違うから変なのかな?」と思う事でも「言葉」で「ラベリング」すると安心します。
最近、色々な言葉が増えているのは「多様性」から来るのではないでしょうか。

変えたいのは自分自身ではなく「ラベリング」ではないか?

ラベリング効果
人や物事に対して「○○だ」「○○ではない」と根拠なく判断し、思い込んでしまう心理現象です。
例えば、教師が生徒に「あなたは優秀だ」とポジティブなラベリングを行うと、生徒の学習意欲や成績の向上が確認される
‐AIによる概要‐

会社にいる時と自宅にいる時が違うのは「期待されている役割」
「自分が演じたい役割」が違うからではないでしょうか?
「上司だから〇〇」「同期だから〇〇」「部下だから〇〇」「クライアントだから〇〇」「お客様だから〇〇」
「父親/母親だから〇〇」「兄/姉だから〇〇」「弟/妹だから〇〇」「一人っ子だから〇〇」「方親だから〇〇」「両親がいないから〇〇」……。

無数にあると思いますが、〇〇の部分を考えて当てはめているのは誰でしょうか?
他人から言われてそうだと思い込んでいませんか?
そのイメージを自分自身に言い聞かせてないでしょうか?
ラベリングされたらその通りの役割を、他人が期待する役割を演じないといけないのでしょうか?

とっても便利で安心するんです。この「ラベリング」って。
そして、ちょっと立ち止まって考えてみて欲しいです。
その「ラベリング」は「今」のあなたにとって本当に必要でしょうか?

「自分」を理解する為に自分自身でその「ラベリング」を貼ったつもりでいますが、
「他人」に期待されてその「ラベリング」に閉じこもっていないでしょうか?
「自分」からその「役割」を降りてもいいし新しい「役割」を手に入れたって良いんです。

「他人」から「〇〇だから正しい」や「〇〇だから正しくない」って言われても違うなって思う事は多くないでしょうか?
その人はそれで良いんだと思います。「他人」は変えられないらしいので。
でも私自身はどう思っているんでしょうか?

私は物事の白黒・善悪を決めているのは「自分自身」であると考えています。

他人の根拠のない判断に従わずに「自分自身」の考えで幸せに生きていいんです。

※私がラベリングしていないかどうか疑って考えてみて下さい

私はここに辿り着けている皆様は幸せだと思ってます。
だってこのページを読めてるって事はあなたは「スマホ」「iPhone」「タブレット」もしくは「パソコン」を持っていて
通信料も払う事ができて、文字だって読める環境で
恐らく身の危険がなく安全な場所にいて
「検索」することが出来て色々な情報やSNSを見ることが出来て
それでも「何か」を知りたくてここに辿り着いているのですから。


【2】交流分析

交流分析
アメリカの精神科医エリック・バーン博士によって開発された心理学理論と心理療法です。
精神分析を土台に人間性心理学を取り入れた「精神分析の口語版」とも呼ばれ、人間関係の改善や自己実現に役立ちます。
‐AIによる概要‐

交流分析

交流分析学会
交流分析の研究促進・普及・啓発を目的とした日本交流分析学会の公式サイトです。
交流分析学会

公式サイトがある~!(歓喜)
広く周知しようとしてくれてて嬉しい(´;ω;`)ブワッ
なんでこんな単語知ってるのかっていうと、大学の講義で学んだ事だからです。
過去に交流分析のページをちょっと作成した時も「これは素人が行うのは良くないのでは?」と思ったので削除しました。
大学の受講料はこれを聴く為に払ったといってもいいくらいの講義だったものなぁ……。

私は資格を持っていないし、特に紹介した所で一銭も入ってこないので気になる方は是非(ぇ

私なりに覚えている事を伝えるならば、
もし心理学者を目指したい方はもう一人の自分が自分を見ている感覚を持つ事が大事です。
自分の心を知りたいだけの方にはお勧めしません。
という事。自分が助かりたくて心理学の研究をしていたら助ける側に回らないといけなくなった教授方の笑顔と笑顔の裏に隠された狂気というか本当の自分を抑えている感じが怖かったので全く目指したくなかった記憶があります。

私は特に修行僧になりたいわけでも悟りを開いたわけでも精神科医になりたいわけではないので深く突っ込みませんでした。
ただ「自分を知る」手段としてはとても面白かったです。
知識を広めようと共有してくれようとしてくれている教授様方に感謝m(_ _"m)


【3】集団心理について

集団心理
集団の構成員が形成・維持する思考や感情、意志などの総称。
集団において個人が多数派に同調すると、合理的な思考力や判断力が抑制され、集団全体として極端な行動を引き起こすことがあります。
‐AIによる概要‐

ミルグラム実験

被験者が隣室にいる生徒役の回答が間違うたびに、より強い電気ショックを与えるよう要求されます。
生徒役には電気は流れておらず、苦しんでいるふりをしているだけです。
しかし、被験者は実験者が「大丈夫です」と言うのに関わらず、
最終的に65%の参加者が命の危険がある450Vのショックを与えることになりました。
‐AIによる概要‐

ちょっと引用が分かりににくすぎるのでミルグラム実験についてもう少しかみ砕いて説明します。
あなたは学生や社会人2年目だと仮定します。
隣の教室(部屋)にはもう一人、新入生・会社の新人が電気椅子に座ってます。
そして先生、(上司)から隣の教室(ガラス張りの部屋)にいる新入生(新人)が回答を間違えるたびに電圧を上げるように指示されました。
あなたは別室にいるので電圧をどれだけ変えても新入生(新人)から攻撃されることはありません。
別室からガラス越しに新入生(新人)の様子が見えます。
間違えるたびに電圧を上げるように指示されているので、あなたは隣の新入生(新人)が間違える度に電気ショックの強度を強くしていかなければいけませんが、電圧が「450V」になると命の危険がある事は知らされています。

実験なので、もちろん実際には電気ショックは流れていません。
Aグループの新入生(新人)役の人には電圧が変わって苦しむ演技をしてもらった後に、
「大丈夫です、続けてください」というようなセリフを言ってもらいました。
Bグループの新入生(新人)役の人には電圧が変わる演技をして貰うのみで
セリフはなく苦しむ演技のみにしてもらいました。

これは新入生(新人)が「大丈夫です」という事によって「電気ショック」の「V」数を上げてしまうのではないか?という仮定を証明する為に行われましたが、
「電気ショック」を与える「V」数は言葉の有無に関わらずA/Bグループともに65%の人が命の危険とされてる「450V」の電気ショックを与えました。

アイヒマン実験

スタンレー・ミルグラムが1961年に実施した電気ショック実験です。ナチスドイツのアイヒマンが虐殺の責任を問われた際に「命令に従っただけだ」と主張していたことに着想して行われました。
‐AIによる概要‐

閉鎖的空間(学校や会社)では権威者(先生や上司)の命令で従ってしまう事がある。
という問題提起となります。

「先輩が言っていたから…。」「上司が言っていたから…。」「この学校の風習だから…。」「この会社の社風だから…。」「私の時もそうだったから…。」
上記のワードが使われる時って悪い時の方が多くないでしょうか?
自分の考えでは良くないってわかってても「会社」や「風習」は「個人」の考えではないから。
※他人は変えられない

集団心理から逃れる為には?

端的に言うと前述したミルグラム実験の『65%の参加者が命の危険がある450Vのショックを与えることになりました』という事は残りの35%の人になれば良いわけです。
この35%の人はどうしてショックを与えなかったのか?
それは権威者からの言葉ではなく『「450V」の電圧を与えると生命の危険がある』という事を考慮できていたかどうかではないでしょうか?

「やりたいこと」は中々出て来ないけど「やりたくないこと」に人は結構敏感なのではないかと思っています。
「嫌な予感」や「モヤモヤ」する事は当事者自身は結構覚えてたりするものです。(例えそれが他人が気にしていなくても)
ここの「範囲」が人それぞれなんだと思うのでまずは自分の「ここまでは許せるけどこれ以上は嫌だ」の範囲を見極める事が大事なのではないかと思います。

自分の「許容範囲」を考えてみる

実験の例で言えば「5Vまでくらいなら大丈夫かな?」や「間違えるただけで罰を与えるなんてとんでもない」という方や「死なないなら300V」まで上げて大丈夫では?といった事です。

もしくは「新人」にやるのは許せるけど「友達」や「家族」には許せない等。
あなた自身の「許容範囲」をまず知っておくことが大切です。
自分を知る(考える)のが面倒だと思った方は65%の心無い方々のまま脱却できない可能性が高いのではないかと考えています。

さて、もう極端に今回の例(ミルグラム実験)で「電圧を与えたくない」と仮定します。
「電圧を与えない」為にはどうすればいいでしょうか?

思考例

1 自分を説得してみる
「電圧を与えたくない」と考えたと仮定した時、ではどうして電圧を与えたくないのか?
問題を間違えた場合に新人なのだから「電圧」を与えるのが正当ではないと考えたからでしょうか?
教え方が悪かったから「電圧」を受けるのは上司だと考えたからでしょうか?
微弱な「電圧」であれば耐えられる状態でも「電圧を与えたくない」理由は何でしょうか?

2 自分の考えを伝えてみる
自分を説得できなかった場合「電圧を与えたくない」という事を先生や上司(権威者)に伝える事はできないのでしょうか?
「できません」と伝えたらその実験は中止される可能性はないでしょうか?

3 他人の考えを聞いてみる
「実験」とは聞いていますが、ではどうして「電圧」を与える必要があるのか?
生命の危機が訪れるような方法ではなく「違う方法」はなかったのか先生や上司(権威者)聞いてみることはできますか?

考える 伝える 聞く(会話)

まず、自分の意見(考え)を自覚しておかないと他人に伝えるのは難しいです。
なので、常日頃自分の許容範囲を考えておくと言語化しやすいのでお勧めですという事。

次に、他人に意見を伝える時、特に権威者に伝える場合は
それ相応の理由がないと中々伝えにくいです。
話しやすい権威者であればこんな問題になっていないはずなので権威者の考えを「聞いて」みる。
どうして「電圧をあげていく」事が必要なのか自分に害が及ばないように伝えるにはどうすればいいのか「考えて」おく必要があります。

それでも権威者が聞く耳を持たない場合はその状況に「従う」か「逃げる」しか手段がありません。

考えて説得するのって危険があるだけでメリットが少ないから従いがちです。
ですがもう少し立ち止まって考えてみて欲しいです。
「戦時中」であればそうしなければあなたや家族が「殺されて」いたかもしれません。
でも「今」ならどうでしょうか?
「学校」や「会社」で権威者に意見をすることによって「人命」は失われるでしょうか?

私の言葉が「指示」なのか「意見」なのか「見解」なのか…。
強い感じで書いてしまいましたが「見解」なので自責の念にはとらわれないで下さい。

要は、他人と自分は同じ人ではあるけれど「考え方」はその人しか持ち合わせていないし、他の人には「話さない」と伝わらない

自分で考えて「話した」のであればその話した後の感想に「こう思われたらどうしよう」って思う必要はないんです。
「賛同」されれば嬉しいし「反対」されたらその人は自分の担当じゃなかっただけなので距離をおけばいいんです。
「反対」意見を「攻撃」して「自分と同じ意見にさせる」必要はありません。
「他人」は「変えられない」から。
そこで他人が「反対」だった場合自分で譲れる範囲はどこなのか?本当に全部ダメなのか?どこまでか譲歩できないか?自分を説得してみる。
そして自分の考えは違うけど「方法」を「手段」を「伝え方」を変えるのであれば「賛同」してもらえないか伝えてみる。
そして、相手がどこまで「譲歩」できるのかもう一度聞いてみる。
そこですり合わせてみても食い違うのであればその人は「自分の担当じゃなかったんだな」と思って距離を取りましょう。
そこから無理に「自分/相手の考えを否定」する必要はありません。

指示
1,これがそうだと、指でさして、または指さすように示すこと。
2,こうせよと指図すること。
‐Oxford Languagesの定義‐

見解
物事に対する考え方や評価。意見。
‐Oxford Languagesの定義‐

自責の念
自分の行動や選択に対して後悔や責任を感じる心情を指す言葉です。
‐Oxford Languagesの定義‐

他人を変える事はできない

もし嫌いな人や苦手な人がいる場合はあなたの「担当」ではなかっただけです。
会話を試みてもダメだったり、会話することができない状態であれば諦めましょう。
少なくとも今の日本で自分の嫌いな人と一緒にいないと生命の危機に脅かされる理由はないからです。
そして、その人を「攻撃」するのも無意味です。「他人」は「変わらない」から。

なので「距離をおく」「離れる」「無関心になる」。
これでいいと思います。
自分の「正論」を他人に「振りかざしたい」人もいるでしょうが少なくとも今の「日本」は戦争中ではありません。
「言論の自由」は確かにあります。
ただ、他人の考えた「正論」で反対意見の人の「精神」を傷つける必要はないと思います。
「考え」が違うから、「嫌いな人だから」といって人を傷つけて良い理由にはなりません。

季節や天候自分の考えは変わる

人は聖人君子ではありませんから、常に「ここまでが大丈夫」ではないわけです。

最近では「天候」によって「頭痛」が発生する事も知られています。
健康な状態なら「ここまで」が許せていたかもしれないけど今の天気なら上限値・下限値が変動している可能性だってあります。

たとえば「以前」は無理だったかもしれない、でも「今」ならどうでしょうか?
一度否定されても、もしかしたら再考したら「考え」が変わっているかもしれません。

行動してみた後に「今」の現状では「本当に無理だった」のか、「ここまでなら大丈夫」なのか「もっと上を目指せたのか」「もっと準備さえすれば上手くいくかもしれなかったのか?」

先人の知恵は確かにもっともな事やその時はそうだったのでしょう。
でも「今」ならどうでしょうか?
「行動」してみたら「今」の問題点や課題点が見えてきますが、「行動」しなければ先人の意見に囚われたままの状態です。
それは何も変わりません。

CMで見たんですが「やった時」の後悔と「やらなかった時」の後悔であれば、
「やらなかった(行動しなかった)」後悔の方が大きいと。
「やった時」の後悔であればどこが悪かったのか?そうならない為にはどうすればいいのか?「次」はどうすればいいのか「改善策」を考えることができます。
「やらなかった時」は何も改善策が思いつかないので「次に」どうすればいいのか、の「改善策」がみえてきません。

私の後悔は「〇〇だから」、「私の時は〇〇だったから」って言葉が嫌いだったのにも関わらず、自分がその言葉に負けて行動しなかったのを後輩がやりたいって言われた時に押さえつけてしまった事です。
学生時代の事ですが、まだ覚えてて本当に後悔しています。
自分は流されるだけの集団にいるだけのただの「ひつじ」だと思ってたんです。
でも、それを他人にも、後輩にも強要したときの罪悪感が強くて。
なので新しい事であれば案外すんなりと通るんですが、今までにやってきた事を引き継いでバージョンアップさせるのって「社会」では中々難しくて、勇気が必要で、「これがやりたい」っていう「考え」とそれを実行する「行動力」が大事なんだと思います。

「今」を「生きる」って「今」の自分の考えを「他人」と「共有」してみるものだから色んなSNSが流行ってるのかなと。


【4】マスメディアについて

マスメディア
大衆(マス)に対して多様な情報を発信するメディアのことで、テレビや新聞、ラジオ、雑誌などが含まれます。
‐AIによる概要‐

(私が思う)マスメディア

テレビ
経験則としてなぜかテレビ局にその辺りにいる一般市民として2回ほどインタビューされた事があります。
1度目は特に何も指定はありませんでしたが、2度目にインタビューをされた時はこんな事を言って欲しいと「台詞を指定」された経験があります。

テレビは「伝えたい側」が「伝えたい」ように「喜劇」や「悲劇」を「演出」してます。

新聞
過去に取ってた事がありますが…。
「新聞」の内容って「興味」が惹かれるものがあまりなく「時事」は「今」ネット上で拾えるから必要ないかなと。

ラジオ
「ハガキ」や「メール」で意見を送れるようですが……。
どんな「意見」が「取り上げられる」のか結局「伝えたい側」が選んでいますよね……?
昔、好きな有名人が「ラジオ」の無料公開録音があるからと行ってみた事があります。
公開録音のゲストの人の「曲」が流れている間見に来ていた観客は普通におしゃべりしてて、出演していたゲストの方が言葉にはしませんでしたが不快感を表していた事がありました。
人々が求めていたのはその人の「曲」じゃなくてその人が「見れる」から公開録音に来ていた。
「伝える」媒体を間違っていただけなのかもしれませんが伝えたい「情報」に「効果」があったのかは疑問に思いました。

雑誌
たしかに、1度目であれば新鮮にうつるかもしれません。
その「情報」は既に飽和していたり、「ネット上」で取得できるものではないでしょうか?
雑誌はその情報に興味のある人たちへの「販売促進」のメディアだと思ってます。

SNSについて

SNS
Social Networking Service(ソーシャルネットワーキングサービス)の略で、インターネット上で交流や情報共有ができるサービス。

X(Twitter)、Facebook、Instagram、YouTube、TikTok……。
「他人」の意図を介さずに「自分」の意見を直接世界に発信できる土台が出来てきていますが、
その情報は生きていく上で「必要」な情報でしょうか?

「他人」と「自分」を比較するツールや他人の「不幸自慢」や「幸せ自慢」をする場所でしょうか?

誰でも発信できるという事は「表現」できて「自由」で「楽しい」事です。
他人に見てもらいたい「承認欲求」誰にだってあります。

でも、ただなんとなくの日常を私が発信しても誰も興味ありません。
では、「人々の興味・関心」があることとはなんでしょうか?

「人の不幸は密の味」なのか? ※思っていない方や不快に感じている方はどうかこの記事は読み進めずに閉じて下さい。

ドイツ語の「シャーデンフロイデ(Schadenfreude)」に由来する表現で、「他人の不幸を見聞きして感じる喜び」を意味します。
‐AIによる概要‐

私は「人の不幸は密の味」という言葉が嫌いです。
これは「自分自身」の考える「不幸」を増やしているだけではないでしょうか?
「勝敗」や「幸福や不幸」を決めているのが自分自身だとしたら「密の味」らしい「他人の不幸」を決めているのは「あなた自身」ではないでしょうか?
自分の周りにいる人は「鏡」だと聞いた事はありませんか?

「どこまで」の不幸なら「密の味」なのでしょうか?

例えば、海外のロシアとウクライナが戦争をして死傷者が出ている これはあなたの考える喜びでしょうか?
能登地震で復興が進んでいない 自分自身がそこに住んでいなければ楽しいニュースでしょうか?
どこからの「不幸」を「見聞」して「楽しい」と思えるのでしょうか?

塞翁が馬

人生の幸不幸は予測できないものだというたとえ。
‐Oxford Languages‐

「馬が逃げた」という不幸な出来事があったけれど、その馬が名馬を連れて帰って来た。
息子が名馬に乗って「足を折った」という不幸な出来事があったけれど、そのおかげで戦争の懲役から免れたといったような故事。

「コロナ」が拡大したけれども、「うがい手洗い」を実行することによって「インフルエンザ」の流行は抑えられた、「マスク」の重要性に気づけたというような事です。

それでも人が「不幸」を感じてしまうのは一体どんな時でしょうか?
自分の「欲求」が満たされていない時に「不幸」を感じてしまうのではないだろうか?

マズローの欲求階層説

マズローの欲求5段階説
人間の欲求を5つの階層に分類して説明した心理学理論です。
‐AIによる概要(生成 AI は試験運用中です。)‐

  1. 生理的欲求:食欲や睡眠欲など、生命の維持に必要で、満たされない状態が続くと危険な欲求
  2. 安全の欲求:住居の確保や雇用の安定、健康の維持など、身体的・心理的な危険や脅威から離れる欲求
  3. 社会的欲求:愛情や所属感、友情など、人間関係の形成や維持に関わる欲求
  4. 承認欲求:他者からの肯定的な評価や、他者から認められたいという欲求
  5. 自己実現の欲求:自分の能力を最大限に発揮し、理想の自分になろうとする欲求

人の欲求は1から段階的に満たされる事によって次の欲求が発生するのではないか?(ただし、科学的には実証されてはいない)という説。

※以下、「欠如」した時の例を上げてみてるので読みたくない場合は閉じて下さい。

例えば
・仕事が忙しくて「昼食」を食べる事が出来なかった。(生理的欲求:食欲の欠如)
・雨が降っていたので「頭痛」がした。(安全の欲求:健康面の欠如)
・約束をしていた友人が来れなかった。(社会的欲求:人間関係の欠如)
・自分の出した意見が採用されなかった。(承認欲求:評価の欠如)
・なりたい自分ややりたい事がない。(自己実現の欲求:理想の欠如)

例えが下手すぎて申し訳ありませんが、ただ「欠如」したからといって「不幸」ではないと思います。
もしかしたら昼食を食べない事によってより集中力が増していいパフォーマンスを発揮できるかもしれない。
雨が降って頭痛がするから今日は無理をしないようにしようと思えたかもしれない。
友人がいなかったから1人の趣味を楽しむ時間ができたのかもしれない。
採用されなかった意見は他の角度からみたら素晴らし意見なのかもしれない。
やりたい事がみつからないから色んな事にチャレンジできるかもしれない。

あなたは「今」幸せですか?
1:今日あなたの睡眠時間は7時間以上取れている状態でしょうか?満足のいく食事はとれましたか?
2:今あなたには快適な住居に住んでいる状態でしょうか?病気に対応することができて、健康的な状態ですか?
3:友人や同僚など、周りに話せる「友人」や「家族」はいますか?
4:あなたが今「認めて欲しい」と思っているのはどういったことでしょうか?
5:それを実現する為にはどんな行動が必要ですか?

「今」「自分」の幸せに必要なことは自分が「やりたい事(やりたくない事)」を「考えて」「行動」に移してみる事ではないかなと。


【5】完璧とは?

完璧
一つも欠点がなく、完全なこと。完全無欠。
‐Oxford Languagesの定義‐

「完璧」を追い求めている方へ

あなたが今思い描いた「完璧」はどんな姿か考えてみて下さい。
考えってその時々や体調や気分、周囲の環境によって変わります。
なので、「この考え」が完璧だ!ではなく考えてみたことを少しでもいいから実行してみて欲しいです。
すると考えた事を話してみたりすると自分の予想と違う反応が返ってきたり、違う結果だったりします。
結局、行動してみないと何がどうなるかなんて誰もわからないわけです。
なら、中途半端だろうが失敗しようが行動してみればいいと。
「考え」て「行動」に移して行く事が「完璧」(理想)に近づく一歩ではないでしょうか?
あなたが「完璧」を思い描いた後、その「完璧」に近づく為に「行動」してみた事はどのくらいあるでしょうか?
むしろ、「行動」し続ける、「変化」し続ける。その時々によって臨機応変に対応し続ける事が「完璧」という状態だと思います。

完璧の語源
「完璧」の語源は、趙の国の恵文王が所有する名玉「和氏の璧(かしのへき)」を秦の昭王が欲しがり、15の城との交換を強要したという話です。
小国の趙は強国の秦の申し出を無下にはできませんでしたが、趙の藺相如が命をかけて「和氏の璧」を傷1つつけずに完全な状態で持ち帰り、任務を完うしました。
‐AIによる概要‐

同調圧力

同調圧力
集団の中で少数派が多数派に合わせるよう暗黙のうちにプレッシャーを受ける心理的圧力を指します。
意見や行動の正否にかかわらず、多数派の考えや行動に合わせることを強制されるため、集団全体が誤った方向に進んだり、問題点の改善要求や良心に基づく訴えが出にくくなる可能性があります。
‐AIによる概要‐

例えば有給を取りたい日が会社が忙しくなりそうな日に重なった時。
友達に誘われた約束があったけれどあなたにとっては気乗りしない約束があります。
会社には事前に有給を取る事を伝えていました。
しかし、他の会社員の方がインフルエンザにかかっていてしばらく出勤できない事が判明している状態です。
あなたが予定通り有給を取得すると仕事が回らないから有給の日をずらして欲しいと上司に言われました。
あなただったらどちらの圧力を選択するでしょうか?
(恐らく、この条件であるならば多数派である会社を選択する方が多いと推察します。)

PDAC

業務改善や品質向上を目的としたフレームワークで、「Plan(計画)」「Do(実行)」「Check(評価)」「Action(改善)」の頭文字をとった言葉です。
‐AIによる概要‐

業務や品質向上だけじゃなく、普通に日々の日常でも対応できる言葉じゃないかなと。
思い描く、考えてみるだけじゃなく、下手でもいいから実行してみる事が大事なのではないかなと。
もし、行動してみて失敗してもいいと思います。
恐らくそれは「失敗」ではなく「経験」だから。
笑われたっていいんです。
恐らく笑っているだけの人は自分が笑われるのが怖くて逃げているから、自分の代わりに「失敗した」と思っているんだと思います。
自分なりの「行動」をしていないから笑っている人の「経験」にはならない。
むしろ「行動」は「賞賛」に値すると思います。

実際に行動を起こしてしてみたあなたは素晴らしい!

結論としては、「考えて」「行動」してみて、「再考」してそれを踏まえて「行動」していく事が「人間」として「完璧」な状態に近づいて行くことができるのではないかな?という事です。

己の欲せざる所は人に施すこと勿れ

己の欲せざる所は人に施すこと勿れ
自分がしてもらいたくないことは他人にもしない、という考えを表すことわざです。
‐AIによる概要‐

人の意見は聞きたい、でも押し付けたくない→「自分」と「同じ」考えを持っている人はいない。
でも、それは寂しすぎるしただの「人」ではなく「人間」でありたい。

実家にいる時は、家にいるのに「帰りたい」ってずっと思ってました。
中々理解されなくて(できなくて)自分の居場所がないなって。
これは「他人」を「自分」と同じようにしようと「同調圧力」をかけようとするからではないかな?と。

「イエスマン」が周りにいて欲しいのではなくて色んな「人」の価値観を知りたいし、他人がいないと自分がその中でどこにいるのか「立ち位置」が見えて来ないんです。
まずは他人を「思いやる」→「自分の考えを伝える」ここまでで良いんだと思います。
「他人」の考えを全て肯定しなくても否定しなくてもいいしお互い押し付けられたくない。
違う考え方を「押し付け」てくるようであればその人の事を「尊重」していない事にならないでしょうか?

思いやり
自分以外の人のために気遣いをすること、相手の立場になって考え、思いを共有すること、同情する気持ちなどの意味を持つ言葉です。
思いやりのある人は、日頃から相手の様子をしっかり観察し、些細な気遣いをできる人です。
相手が快適に過ごせるように振る舞うことで、相手を笑顔にすることができます。
‐AIによる概要‐

尊重
他人の存在や価値を正しく認識し、敬う心の状態を指します。
相手の人格や考え方を理解しようとする姿勢や、相手を大切にし、認めることを意味します。
‐AIによる概要‐

苦手な人がいたっていい

「自分」の意見と「他人」の意見が違うなんて普通の事です。
自分の苦手なものが好きだったり趣味趣向は人それぞれなので。

例えば知り合ったばかりだけど、遊園地に一緒に「ジェットコースター」が好きな人と苦手な人が一緒に行ったと仮定します。
そして、お互い「ジェットコースター」についての好き嫌いを伝えたとしましょう。
ここまではよくある話です。

次に「せっかく知り合って一緒に遊びに来たのだから一緒に遊びたい」という共通認識がある場合は?
どちらの意見を優先するのが「正しい」のでしょうか?

「1度だけ一緒に乗ってみる」「別々に行動する」「乗らずに他のアトラクションを回る」……。
その場は何かしらの選択をするかと思いますが、では「その後」はいかがでしょうか?
恐らく「一緒」に「ジェットコースター」のある「遊園地」に行くのは避けるようになるのではないでしょうか?

もしくは一緒に「ジェットコースター」に乗りたい人どうし、乗りたくない人どうしで遊園地へ遊びに行った方が気楽だと思います。

これは変えられるものでもないし、趣味が「合う、合わない」があって当然なんです。
合わなければ「この人とは一緒に遊園地に行かないようにしよう」と距離をとる事を誰も否定することはできません。
ただ、その人の「担当」ではなかっただけです。

とりあえず自分で譲れる範囲を考えてみて話してみてやっぱり違うなって時はただ「意見」が違うだけなので「離れる」で良いと思います。
「ジェットコースター」の良し悪しを論じた所で平行線は交わることはないでしょう。


【6】自分を大切にして欲しい

自分を大切にする
自分の人生とポジティブに向き合い、自分自身を肯定して人生を楽しむことを意味します。
自分の心の声を聞き、欲求に対して素直になることで、ありのままの自分らしく生きることを目指します。
‐Oxford Languagesの定義‐

自分を大切にする方法

自分自身を「もう一人の自分」から客観的にみてください。

あなたには「推し」や「尊敬する人」、「憧れの人物」はいますでしょうか?
もしくは「なりたい自分」等、あなたにとって好きな人を思い浮かべてみて下さい。
※今後は「推し」と表記致しますが同等の意味です。
※これからは「仮定」「IF」の状態を想像して下さい。

あなたは「推し」と身体が入れ替わってしまいました。
突然入れ替わった状態で「今」の「あなたの状況」を「推し」にきちんと説明してあげて下さい。
時間があれば「紙」やスマホに書き出してみて下さい。

あなたの身体にいる「推し」が「お腹が空いた」としたらあなたの今ある状態で何をご馳走しますか?
「推し」が「眠く」なったら今あなたのベッドで休んでもらえますか?
あなたの体調が悪い身体に「推し」がいたら「病院」へ行こうと思いませんか?

もし「入れ替わり」が今後もずっと続くのであれば「推し」にあなたの今の生活をそのまま続けてもらうことができるでしょうか?

「推し」に美味しいものを食べさせたいのであれば、あなたが美味しい物を食べて下さい。
「推し」に健康でいて欲しいのなら、あなたが健康になってください。
「推し」に休んで欲しいのであれば、あなたが十分に休んで下さい。

「自分」なら「耐えられるから平気」かもしれませんが、あなたの「推し」が「自分の身体」にいると仮定するといかがでしょうか?
「推し」には幸せでいて欲しいように、「あなた自身」にも幸せでいて欲しいです。
自分の心を犠牲にする必要はありません。

自他共に尊重して欲しい

尊重
尊いものとして重んずること。
‐Oxford Languagesの定義‐

「自分」を「尊重」することができたなら、
「自分」を支えてくれている「他人」にも尊重して頂きたいです。
「自分の事だけ」大事であるならば、それはただの「人」であって、「他人」を尊重する事で人と人の間にいる「人間」になるのではないかなと。

「自分」だけではなく「他人」も尊重していただければ、「人間」として「社会」が少しは幸せになるのではないでしょうか?

「相手の気持ちになってみる」でも、他人だからわからない。
わからないから「話して」みてお互いの意見をきちんと尊重しあえるようになるといいなと。

嫌われる勇気

すみません、タイトルがそのまますぎて本は読んでいません。
だって、担当が違うのに万人に好かれる必要なんてないから。

人に好かれたいなら、自分の意見を言わずに相手に同調してれば良いので楽です。
でも、やっぱり同じ環境じゃないしその人じゃないから違う所だって出てきます。
じゃぁ、相手に合わせてここまで好きになってあげたんだから、次は私のここまで好きになってくれるよね?
という考え方が人間関係に衝突を生み出している気がします。

「思っていた人と違った」それはそのはずです。
「他人」なので仕方のないことだと思います。

そこから先、「話し合いたい」のか「話したくもない」のか、自分の意見を言語化する為に「考える」時間が欲しいのか、どこまでなら許容できてどこまでなら許容できないのか。
体調が悪いのかもしれないし、仕事で他に考える事があるのかもしれないし、構って欲しいのか、そっとしておいて欲しいのか、その時々によって変わってくるかと思います。

フォロワーを増やしたい方へ

褒めるとストレスが解消されるのは、褒められることで達成感を得たり、脳が活性化したりすることが理由です。
また、人を褒めることも自分にとってプラスに働くことがあります。
‐AIによる概要‐

Xって自衛してますとかフォローした後に迎えに行きますとか自己紹介を読んでくれとかお別れはブロ解でとか自分ルールを押し付けてくる方が多いけれど、ブルースカイも人が増えるとそうなっていくのかな……?

SNSのハート押すのはそのポストが「好き」って事を表してると思います。
そしてやっぱり高評価を受けるものって「綺麗なもの」「その人が好きな事」。
そして「褒めるのが好きな人」と「褒められるのが好きな人」が集まってくると。
でも毎日綺麗な写真やイラストを上げ続けるのって大変ですよね……?
風邪をひいたり体調が悪かったり嫌なことがあって愚痴を書きたかったり、毎日1人で綺麗なものを上げ続けるのは難しい。
だから集団になって上げれる人が心地良い空気を提供しようとしてくれているのかなと。
フォローするとその人が調子が悪い時のポストや自分がそんなに好きじゃない感じの愚痴や弱音もハートを押さないといけない気がするのが負担なのかなと。
そして毎日「褒めたい」側の人、他人に不快な思いをさせないように愚痴や不満を書かない方にフォローが集まりやすいのかなと推察しております。
他人を「褒めて」ストレス解消できるようになれば毎日自分で必死に「虚像」を作ったり毎日投稿しなくちゃ!と気負う必要がなくなると思うのですがいかがでしょうか……?

別に会話したいわけではなく、気軽にいいなと思ったポストにハートを付けている方にはフォロワー様が多い気がします。
ブルースカイはフラットな感じでハート押しちゃう側なんですが皆様の距離感はどんな感じでしょうか?

人との関係はほどほどの距離でいい

中庸
どちらにも片寄らないで常に変わらないこと。過不足がなく調和がとれていること。また、そのさま。
‐コトバンク‐

相手に依存するだけの場合依存している方は不安になるし、依存される方は嬉しいけれど「無理」が続くとすり減ってしまいます。
「自分自身」と「他人」とお互いにとって丁度いい距離感を上手くとっていけるようになりたいです。

「嫌われないように」頑張る。「好きになってもらえるように」頑張る。
どちらもほどほどでいいし、そもそも「頑張らなくても」いい状態が恐らく隣にいて居心地が良い人なんだと思います。


【7】最期に

感謝
ありがたく思って礼をいうこと。心にありがたく感ずること。
‐Oxford Languagesの定義‐

自分らしくありたい(昇華)

昇華(心理学)
「満たせない欲求」や「社会的に評価されがたい欲求」のよくある例は「性的欲求」や「攻撃欲求」など。
例:社会への怒りや不満を社会を直接的に攻撃・破壊するのに使うのではなく、歌詞という作品にして発信する
‐Wikipedia‐

恐らく、このページの作成が、一番自分らしいかなと……。

私はサポートはしたいけど、陽の当たる場所にはいたくなくてひつじの群れの中にいたいんですよね。
矢面に立って「批判」や「賞賛」されている方には感謝しかない。

自分で「行動」してないのに「言動」だけで終わるのが嫌だから、中々自分の考えを言うのが好きじゃなくて……。
「じゃあ、自分はどうなのか?できているのか?」って考えてみるとできていない。
他人を従わせたいわけじゃないし別に全人類私と同じ考え方であれ!とも思わないから承認欲求はあれど自己主張はしたくないなと。

ただ、集団生活を送る上で他人に流されるだけじゃなく、その人の性格や考え方に合った生き方を考えて、行動して選択していける方が少しでも増えたらいいかなと。
他人と「同じ」である必要はなくってそれが「個性」なのだから。

自由と責任

自由と責任は、表裏一体の関係にあり、相互に補完し合う関係にあります。
自由な判断や行動の結果に対しては個人に責任が帰属させられるという前提で作られています。
‐AIによる概要‐

自分の意見に賛同してくれるだけの「イエスマン」が欲しいのではなくて、考えて「意見」として伝えてみて相手がそれを「考えて」みてくれれば嬉しいし、「やっぱりこう思う」で実行するくらいの「自由」なのとその「行動」に本人が納得してその結果に「責任」がもてればそれでいいかなと。
あの人の意見に従ったらこうだった!じゃなくて、こういう案もあるよね?に考えて自分が納得して賛同したのであればその行動の結果の責任を取るのは「自分」であって欲しいと。
ただ、他人の意見のせいにせずに自分の「考え」や「行動」は自分のものであって「自由」なんです。
その「行動」を起こすと「判断」をしたのはあなたなのだから。
(ミルグラム実験で言う所の35%の人間になる勇気を持って欲しい)

幸せとは

色々ごちゃごちゃ書いてきましたが、ただ単に「不幸」でいたい人は自分自身への愛情不足なだけな気がしてきました。
「幸せ」になっていいのに、自分が「不幸」である理由を必死に探している気がします。

('ω')ノ「幸せになっていいんですよ」
「自分の考える幸せ」に向けて少し「行動」を起こしてみるだけでいいんです。

その日一日の自分の行動を自分で「褒めて」みましょう。
例えば、「昨日夜更かししたのに今日間にあうように起きれて偉い!」「時間がないのに朝ごはんが食べれて偉い!」「自分の空腹より時間を守れて偉い!」等価値観は様々ですがもう、その「行動」を「選択」したことを「褒めて」あげましょう。
そう考えてくると「次の日の為に目覚ましを合わせる事が出来た自分」も「偉い」し、
「寝るのが遅かったのに遅れないように努力した自分も偉い」
「自分」を幸せにできるのは「人との間にいる時」の「自分自身」の「行動」の結果ではないかなと思いました。
「騙された」と思って「自分」を「褒めて」みませんか?

それでもいいや!自分は不幸だ!環境が悪い!と思われる方は下記外部支援機関を紹介してみているのでご参照ください。

外部支援機関紹介

※必要としている方がいるかなと検索するのも億劫な精神状態の方の為に検索結果を掲載しているだけで私が実際に利用したわけではございません。
一応、行政機関を選択しておりますので下記連絡先の苦情は下記対応窓口へお願い致しますm(_ _"m)

生存権
「国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」。
‐AIによる概要‐

※「日本」という「社会」に属していて「税金」を払っているのだから
その「権利」を「実行」するのは「正しくない」選択でしょうか?
「声」に出さないと「話さない」と伝わらないけれど、「伝える」先がもしかしたら違っただけなのかもしれない。


こころの健康相談統一ダイヤル
こころの健康相談統一ダイヤルは、全国共通の電話番号で、こころの問題について相談できる公的な窓口です。電話番号は 0570-064-556 で、全国どこからでも電話をかけることができます。
‐AIによる概要‐

<厚生労働省>
月曜日~金曜日 18:30~22:30 ※22時までの受付

労働基準監督署
働基準監督署の略称で、労働基準法や労働安全衛生法などの法律に基づいて労働者の権利を守るための機関です。
‐AIによる概要‐
<厚生労働省>

DV相談プラス
DV相談プラスは、内閣府が提供する配偶者やパートナーからのDVに関する悩みを相談できる無料のサービスです。
電話、メール、チャットなど多様な方法で相談でき、専門の相談員が対応します。
電話相談:365日24時間、電話番号は0120-279-889
チャット相談:12:00~22:00 10か国語に対応
‐AIによる概要‐

「DV相談ナビ」(#8008(はれれば))でも相談を受け付けています。最寄りの配偶者暴力相談支援センターにつながります。 ※今すぐ警察官に駆けつけてもらいたいような緊急の場合は、110番に通報してください。

児童相談所虐待対応ダイヤル
児童相談所虐待対応ダイヤルは、虐待が疑われる場合などに児童相談所に通告や相談ができる全国共通の電話番号で、「189(いちはやく)」です。
24時間365日対応しており、通話料は無料です。
‐AIによる概要‐

LINEじんけん相談
LINEじんけん相談は、法務省が提供する人権問題に関する相談サービスで、法務局の職員や人権擁護委員がチャット形式で相談に応じます。
相談内容は、学校でのいじめや先生からの暴言、SNSでの嫌がらせ、差別、DV、ハラスメントなど、幅広く取り扱っています。相談内容の秘密は守られ、相談があったことや相談内容を他人に伝えることはありません。
相談するには、公式アカウント「法務局 ほうむきょく LINEじんけん 相談 そうだん」を友だちに追加します。
アカウント名は「法務局 ほうむきょく LINEじんけん 相談 そうだん」、検索IDは「@linejinkensoudan」です。
相談が集中している場合は対応できない場合があるため、1日1回、1回あたり30分程度を目安にしましょう。
‐生成AIは試験運用中‐

<法務省>
月曜日~金曜日 08:30~17:15(祝日・年末年始は除く)

地域包括ケアシステム
高齢者などの生活上の安心、 健康を確保するために、医療や介護のみならず、福祉サー ビスを含めた様々な生活支援サービスが、サービス利用者 の選択に基づき、日常生活の場(日常生活圏域)で適切に 提供できる体制をもつシステムと考えている。

<厚生労働省>

まもろうよこころ(自殺対策)
全国共通の電話番号で、こころの問題について相談できる公的な窓口です。
電話番号は 0120-061-338 24時間対応

<厚生労働省>

最期に

ここまで時間をさいて読み進めて下さってありがとうございます。
考えるきっかけや自分との向き合い方が少しでも軽くなって
「自分」が本当に「やりたい事」に気づいて「行動」してみるきっかけになれば幸いです。

知行同一(ちごうどういつ)
「知ること」と「行うこと」が一体となっており、実践や体験によって知識を確認することを重んじる学説
‐AIによる概要‐

自分なりの「正解」をまだ持ち合わせていないから「自身」?「自信」?が持てないのかなぁ…?
変わっていくかもしれませんが修正しつつ、行動と一致していきたい所存でございます。
せっかく先人が色々と考えて残してくれた「知識」や「言葉」を「日常」に「平日」に落とし込みたいひつじでした。
重ねて最期まで読んで頂き誠にありがとうございました。


【8】参考

参考
物事をするため、既に他人がおこなった方法や述べた意見、それに関係が深い事柄などをとりあげ、自分の考えのたしにすること。
‐Oxford Languagesの定義‐

【漫画】Shrink~精神科医ヨワイ~

Shrink
縮む、縮める、縮まる、縮み上がる、屈する。
‐Google翻訳‐

地域や社会で取り組めるような一環に少しでも関われたらいいなと考えさせられた漫画です。
私は精神科医ではないけれど何か手助けになれたらいいなと。
原作:七海仁 漫画:月子 (外部リンク Wikipediaへ)

【展示】バンクシー展

「絵」や「お金」の価値とは?
絵画をオークションで落札した瞬間にシュレッダーしたり、戦争難民に絵画の売り上げを寄付したり……。
「美術品」ではなくても「カード」や「イラスト」の価格の差、「お金」や「物」の価値について考えさせられました。
路上芸術家:バンクシー (外部リンク Wikipediaへ)

【メンタル】多分そいつ、今ごろパフェとか食ってるよ。

「担当」っていう考え方は主にこちらから。
その人なりの家庭があって幸せに生きているんだなと。
著:Jam 監修:名越康文 (外部リンク Wikipediaへ)

【小説】王とサーカス

「文章」として「伝える」にあたって人々の「興味関心」と「事実」、伝える事によって何がどう変わるのか?考えさせられる小説でした。
小説家:米澤 穂信 (外部リンク Wikipediaへ)

【哲学】ソフィーの世界

哲学の入門書ですが「哲学」の部分は眠くなるので眠れない夜に読む本として是非w
という冗談は置いておいて、ソフィーにおじさんが哲学を教えてくれているのですが、興味がある方はその物語部分だけでも最後まで読んでみて頂きたいです。
小説家:ヨースタイン・ゴルデルー (外部リンク Wikipediaへ)